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2008年01月 アーカイブ

2008年01月30日

式亭 三馬の人生


こんなこと習っていなかったよ。
教えてもらえなかったこと知ると少し得した気分ですね

式亭 三馬(しきてい さんば、男性、安永5年(1776年) - 文政5年閏1月6日(1822年2月27日))は、江戸時代後期の戯作者。本名は菊地(池)久徳。通称西宮太助。字は泰輔。別号は四季山人・本町庵・遊戯堂。父は江戸浅草の版木師。

9歳のとき書肆に奉公に出、19歳で黄表紙「天道浮世出星操(てんどううきよのでづかい)」「人間一心覗替操(にんげんいっしんのぞきからくり)」を発表したが、「侠太平記向鉢巻(きゃんたいへいきむこうはちまき)」で筆禍を受けた。売薬店を営む一方で、洒落本「辰巳婦言」「船頭深話」も手がけるが、三馬の本質は合巻や滑稽本にあり、「雷太郎強悪物語」は合巻のさきがけとなった。

また、八文字屋本風の滑稽本「酩酊気質(なまえいかたぎ)」は生酔いを描写して新境地を開き、庶民の社交場である風呂屋や床屋での会話を描写した「浮世風呂」「浮世床」などで、幕政改革に伴う筆禍を時代を生きる戯作者のひとつの方向性を示した。これらの作品には江戸弁を表記するための工夫がなされ、国語学的にも貴重なものとされている。

他作品「四十八癖」癖を誇張したものもある。

落語家としての三馬
(1866年、1867年頃 - 1939年5月24日) 改名が多く改名順序がつかみ難いが明治の末には新内で太夫をやっていた時期もあるという。旅廻りが多く。最初は明治30年代初め、遊七(後の3代目三遊亭圓橘)の門で七輔。明治30年代半ばに3代目柳家小さんの門でで小しん、1901年頃に4代目春風亭柳枝の門で年枝、1911年頃に7代目朝寝坊むらく(後の3代目三遊亭圓馬)の門で朝寝坊夢八、遊朝、1916年2月に夢輔、1917年頃に上方に辿り着き、その後京都に居着いた。1918年4月に三遊亭善馬、同年10月に2代目橋本川柳を襲名し盛大に襲名披露を行なった、この頃が全盛期だったと思われる。大正12年2月に三馬を襲名するが昭和に入り吉本に属したが人気下火になった、しかし噺は衰えなかった。1938年頃まで高座にあがっていた様である。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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